短資協会の沿革

前史

 短資業者の団体は、1937年(昭和12年)12月にビル・ブローカー協会が設立されたのが始まりです。その後、戦時中の1942年(昭和17年)5月には、金融統制団体令に基づき短資業統制組合が設立されています(ビル・ブローカー協会は、同7月に発展的に解消しています)。 戦後、しばらくの間、短資業者の団体は存在しませんでしたが、1957年(昭和32年)7月には「短資業の健全な発達に貢献するため、会員間の連絡を密接にするとともに、親睦をはかる」ことを目的に東京短資会が設立されています。

 

短資協会設立の経緯等

 1960年代(昭和30年代後半)に入ると、日本経済の高度成長を背景に、短期金融市場が飛躍的に拡大し、その有力な担い手である短資会社のあり方が内外の注目を集めるようになりました。
 そうした中、「短期金融市場のさらなる発展に向けて、短資会社の仲介業務について一層の改善、向上が不可欠であり、そのためには短資会社をまとめ、その核となって活動する団体を結成する必要がある」との認識が高まり、1962年(昭和37年)11月1日、 上田短資、東京短資、日本割引短資、山根短資の4社で短資協会を設立しました。その翌年には、八木短資、名古屋短資が加入し、短資6社で運営がされるようになりました。
 2001年(平成13年)には、短資会社の再編が行われ、短資協会は、上田八木短資、セントラル短資、東京短資の3社で運営されるようになりました。

 

その後の活動状況

 短資協会では、設立後一貫して、短期金融市場の発展に向けて、インターバンク市場やオープン市場関係の各種の企画、調査、研究を行っていますが、1995年(平成7年)以降は、短資会社の委託を受けて、短期金融市場の重要な市場インフラをなす短資取引担保センター(注)(1995年<平成7年>9月開始)、短資取引約定確認システム(2001年<平成13年>1月開始)、短資取引共同受渡センター(2002年<平成14年>9月開始)の運営・管理にも取り組んでいます。
 なお、短資取引担保センターについては、取扱量の激減に伴い、2018年(平成30年)3月末に廃止しました。

(注)  短資取引担保センターでは、有担保コール取引における担保の受渡しに伴う搬送リスクを回避するとともに、現物管理等の事務負担を軽減するために、担保品をあらかじめ集中保管して、帳簿上の振替により担保品の移転を行っていました。
 具体的には、参加者と寄託契約を締結したうえで、担保品の寄託を受け、日銀業務局の金庫に保管、必要に応じて返還する一方、担保センターシステムを利用して参加者の口座にその受払いを入力記帳し、当日の業務終了後、口座残高等の管理資料を作成、それを参加者宛てに送付する業務を行っていました

 

沿革

1962年(昭和37年)11月1日 短資協会設立(会員は上田短資、東京短資、日本割引短資、山根短資の4社)
1963年(昭和38年)1月16日 八木短資、協会に加入
1963年(昭和38年)6月1日 名古屋短資、協会に加入(6社体制に)
1993年(平成5年)8月16日 ハトリ・マーシャル、協会準会員となる
1994年(平成6年)7月 「インターバンク市場取引要綱」の公表開始
1995年(平成7年)9月18日 短資取引担保センターを開設(「短資取引担保センターシステム」稼動開始)
1999年(平成11年)3月31日 ハトリ・マーシャル、協会(準会員)から脱退
2001年(平成13年)1月4日 短資取引約定確認システムの稼動開始
2001年(平成13年)4月1日 名古屋短資、日本短資、山根短資が合併し、セントラル短資が発足
2001年(平成13年)7月1日 上田短資、八木短資が合併し、上田八木短資が発足(短資協会は、上田八木短資、セントラル短資、東京短資の3社体制に)
2002年(平成14年)9月9日 短資取引担保センターにおいて共同受渡センターを開設
2018年(平成30年)3月31日 短資取引担保センターを廃止
2018年(平成30年)4月1日 短資取引担保センター内にあった共同受渡センターを短資取引共同受渡センターに改編